吉田
今日の対話のテーマですが、良寛さんの言葉というか俳句に、「散る桜 残る桜も 散る桜」というものがありまして、実は壁にそのキーワードが貼ってあるのが目に入って、これをテーマにしたいなと思いました。桜の季節は少し外れた時期ではありますが、散るときの美しさ、去ってしまった寂しさを感じながら、一方でまだ咲いている桜もある、でもそれもいずれ散ってしまうよ、という、常に変化することを詠んだ歌だと思います。そんな言葉がちょっと心に響いたので、皆さんのこの言葉から来る感想とか、ひらめきとか、気づきなどをお聞きしたいと思います。今日のテーマをそんな形で進めていきたいと思いますが、どなたからいかがでしょうか?
成澤
この言葉、どこかで触れた気もするんですが、ちゃんと向き合ったのは今回が初めてという感覚があります。改めて聞くと、当たり前のことを言っているんだけれども、同時にとても深いことも言っているなと思いますし、自分たちの生き死にともオーバーラップすることだなと。今は生きていても、いずれは逝ってしまう存在ですから、いろいろと感慨深い、そんな感じが湧いてくる言葉ですね。
安田
そうですね。たまたまなんですが、先週ご縁があった方のご招待で、TBSのイベントで高輪ゲートウェイへ行ってきたんです。「火の鳥」の朗読イベントで、朗読者の方が漫画を読みながら映像と音楽とが合わさった「マンガローグ」という形式のものでした。そこでもまさにこの「散る桜・残る桜」のようなテーマが背景にあった気がしていて。
僕が感じるのは、変化し続けることが常なんだけれども、その変化している状態を全体で捉えると、小さな変化を繰り返しながら、大きくはさほど変わらずにいる、そんな感じのイメージを持ちましたね。
森
僕が聞いて思ったのは、無常というよりも、命はいつか終わるよな、というイメージですね。このくらいの年齢になってくると、先に逝く友人もいたりするわけですが、自分が残った桜だとしても、いずれは散るわけで。元気そうにしている人も、死ぬことは誰しも免れない。そういうことをごく自然に感じさせてくれる歌だなと思いました。
安田さんが火の鳥の話を出してくださいましたが、火の鳥って、永遠の命を求める物語じゃないですか。大昔から未来にわたる長い歴史の中で、永遠の命を求める欲というのがずっとある。でも結局それはかなわない。だから、死ぬ前提で生きるという、当たり前だけど普段忘れているようなことを思い出させてくれる歌なんじゃないかな、というのが僕の感じたことです。
吉田
全体的なとらえ方として、確かに命のはかなさを感じさせる歌ですね。ただその中で、今ここだからこそ今ここを生きる、という捉え方も学びとしてあるのかなと思います。散ってほしくないとか、もっと咲き続けてほしいという気持ちは、ある意味で願望であり、魅力でもある。そこにとらわれてしまうと、今ここを生きるよりも、感情が揺れ動いてしまいがちです。それは大事なことでもあるんですが、その中で今を生きるというマインドセットを持ちながら目の前のことに向かうと、いいのかなと思いますね。
桜と同様に、日常の仕事の中でもいろんな出来事に遭遇しますが、それもひとときのこととすれば、悩みがあってもやるべきことに集中できる。そういう在り方ができるといいのではないかなと、思っています。
成澤
それで言うと、循環していくようなイメージもあるなと思いまして。散ってしまって、最終的にはみんな散るわけですが、もっと俯瞰してみると、ぐるっと回ってまた次の年には花が咲くわけで、それがまた散っていく。吉田さんがおっしゃるように、今起きていることもいずれはなくなっていくものとして捉えながら、またいずれ巡ってくるかもなということも含めて、全部受け入れておくというか、「また来たな」とか「こんなもんだよね」という感じで受け止められると、変に悩みすぎないというか、そういう感覚になれそうな気もしますね。
森
今のお話にも繋がるんですが、安田さんがおっしゃっていた、大きく見るとというお話。これって花の話なんですが、花だけに注目していると、僕が言ったように儚くて、いずれなくなってしまう。
でも、安田さんや成澤さんがおっしゃるように俯瞰して見たら、木としてはまだ存在していて、木という命は繋がっていくし、また季節が巡れば花が咲く。さらにもう少し大きく言うと、桜の木にしても、何十年、何百年か経てばやはり朽ち果てていく。でも、もっと遠く高いところから見れば、桜の林があったとしたら、1本の木が朽ち果てても、また新しい木が生えてきて更新していく。だから森が保たれる。いつまでも個々の命にこだわるよりも、大きな視点で見ると、逆にそこにこだわると流れが悪くなる。この歌をもっと遠くから見ると、もっと大きな生態系というか循環が見えてくるなと思いました。屋久島のヤクスギランドに行ったときにも、倒木更新、切り株更新、台風で崩れが起きてそこにまた新しい木が生えてくる、という話がたくさん解説されていて。全体性は大きく保たれながら、その中ではいろんなものが移り変わっているという、自然の大きな仕組みを表しているようにも感じました。
安田
先日見てきた火の鳥は、コミックの第2巻にあたるストーリーでした。まさに文明がピークを迎え、そこから滅んで、生物がゼロリセットされた状態からまた生物が生まれ、また知的生物の文明社会に至り、またそれが滅んでしまうという大きなサイクルのストーリーでした。
今回は残念ながら屋久島には伺えなかったんですが、屋久島全体を見渡したときにそれをすごく感じたのは、確か屋久島の現在の状態って一度リセットされてから7000年目くらいという話を以前聞いた気がして。縄文人の生活が一旦あって、土石流で流されてまた次の縄文文化が始まったという話を聞き、時間の尺度がそれくらいになるんだという感覚をすごく感じさせられた記憶があります。せっかくなので屋久島に寄せたお話を少し伺えたらと思うんですが、いかがでしょうか?
吉田
僕も森さんがおっしゃったように、今回ヤクスギランドを歩くと、倒木更新、切り株更新、まさに朽ちたものが次に繋がっていくというのを本当に実感しました。最初にご紹介した良寛さんの歌も、花だけじゃなく、そういうことも語っているんだろうなと思います。
今回屋久島で「手放す」をテーマにプログラムをみなさんにやっていただこうという話をしたんですが、その際に般若心経の「色即是空、空即是色」をメタファーとして手放す話をしました。有名な言葉ですが、「色即是空」とは形のあるものはすなわち実態がない、形がないということ。でも「空即是色」として、実態はないけれども形がある。わかりにくいですが、この「空」というのはある意味、目の前のことをもっと大きな視点で、宇宙大の高い次元から自然の理の中で見たときのことを想定するメタファーとして使っています。今言ったような、長い時間の流れの中で物事は繰り返しているという視点に立つ。でも「空即是色」と戻ってくるように、そこでぼんやりしているのではなく、目の前のことにその視点で取り組む。この両方の視点を持つ、視座を高めた上で目の前の事象に取り組む、というバランスが大切なのではないかと思っていて、そんなことを話しながら屋久島の時間を過ごしました。
成澤
屋久島の話ももっと伺いたいところではあるんですが、その全体感を捉えたときに、今形あるものもいずれ形がなくなる、形がなくなってもまた形が生成されてくる、その繰り返しでもあるのかなと思うんですが、一つ僕が時々迷うことがあって。形あるものを作ろうとしたとき、綺麗な、完璧な形を作ろうとするのってどうなんだろうと。結局どんなに完璧な形を作っても、時間とともに崩壊に向かっていくわけで、だったらそもそも七、八割くらいの完璧じゃないものの方が、妥協ではなくて、どうせ完璧にはならないからそれくらいでいいんじゃないかというのも一つのやり方なのかなと。完璧を求めすぎると人にも完璧を求めてしまって、ギクシャクしてしまうという経験もしてきているので。
一方で、完璧を求めるからこそ磨き上げられるスキルや知識もあるじゃないですか。そこは悩ましくて。
先日息子の運動会を見てきたんですが、集団演技みたいなのがあって、僕らの頃は動きを揃えることにすごく言われていた記憶があるんですね。でも今はバラバラで、僕の目からすると「ここは完璧を求めることが重要なんじゃないか」と思いながらも、「いや違うのかな」とか、見ながら1人で悩んでいました。
どうせ壊れるんだから完璧を目指さなくていいんじゃないかということと、完璧を目指すことで得られるものもあるよねという間で揺れ動く自分の悩みを、どなたか助けていただけますか(笑)
吉田
完璧というのは人間には本来あり得ないと思っているんですよ。常に次へ次へとあり続けると思っていて。成澤さんの話を聞いて思い出した言葉が、宮沢賢治の「永遠の未完成、これ完成なり」という言葉です。どういうことかというと、完成した状態はないけれども、完成に向かって努力する姿が完成されているということ。
僕はこの言葉がとても腑に落ちていて、成澤さんの問いに対する大事なポイントなんじゃないかなと思いました。
成澤
なるほど、確かにと思いました。完成を目指すということですよね、スタンスとして。永遠に未完成だよねと思いながらも、それでも完成を求める。矛盾はするんだけれども、その姿が美しくもあり、それが完成だ、ということですよね。なるほど、ありがとうございます。森さん、安田さん、いかがですか?
安田
たとえば成澤さんが組織や人材育成に関わるとき、こういうあるべき姿があるよねというのが見えていて、そこにとにかく近づくようにベストを尽くしていく、ということだと思うんですが、そのとき、あえて完成を目指さずにここいらでいいかなと止めるということではなく、やっているときにはその100%をクリアした状態を目指すわけですよね。でも少し距離を置いてみると、100%はなかなかないよな、ということにもなる。あるいは、以前はここがあるべき姿だと思っていたけれど、しばらくして見てみるとそのあるべき姿もまた変わっているよね、ということでしょうか。永遠に完成しない、未完成、というのはそういうことなんでしょうかね。
成澤
僕の感覚で言うと、七、八割までは大体いっているなという感覚はあるんですが、でもこれは完成形じゃないよなとその場でわかっている。そこからあと二、三割を埋めるためには、ちょっとストレスフルなことだったり、否定的なフィードバックをしないと気づかせられないということもあったりして、いやでも今この状態まで上がってきているからいいじゃないかと言えるし、完璧を求めるがゆえに場が壊れてしまいそうで、負担をかけすぎてしまうということも自分の中にある。そうすると離脱してしまう人や反発してくる人も出てきたりして。踏み込むべきか、でも完璧さもどうせ崩れていくから、この七、八割でいいかと思ってしまう自分もいる、という感じですね。
森
完成と完璧、この二つの言葉が出てきていますが、同じ意味で使っているのかどうか少し気になりました。宮沢賢治の言葉は「永遠の未完成こそ完成である」ということで、成澤さんの話との違いはどこにあるのかなと。
成澤さんが持っているであろう完璧のビジョンというものがあって、バラバラだったり完璧じゃないと感じるかもしれないけれど、宮沢賢治が言うように、よくわからないけれどとにかくやり続けて、常により良くしていこうという姿勢があれば、みんながそのプロセスの中で納得できると思うんです。
安田さんの話を聞いて思ったのは、誰かが「これが完璧だ」と思っていて、一方でビジョンや完成形のイメージがない人もいる。到達したいものへのビジョンが共有されているかどうかで、ずいぶん変わってくると思っていて。「これが完璧だ、これが完成形だ、向かって頑張ろう」とみんなをリードしていくのか、それとも何が完成形かわからないけれどアジャイルにどんどんやっていこうというのとでは、完璧を求める姿もアプローチも変わってくる。どちらかというと、そこの取り組みのマインドを揃えることが大事なのかなと思いましたね。
吉田
少し違う解釈になるかもしれませんが、やはり完成形やビジョン、目標というものがないと、人間は行動するモチベーションやエネルギーが湧いてこないので必要だとは思うんですが、そこに到達することが目的になってしまうと、ギャップがあったりストレスが生まれたりする。
私の捉え方は、北極星に向かって歩いていくこと自体が大事であって、北極星には到達できないけれど、どこに向かって歩くのかという指針がビジョンや目標だということです。今この時間を完全燃焼できるような取り組みができるといいのではないかと思っています。それを組織やチームでやるとき、解釈の仕方がそれぞれ異なってくると統一しにくい部分もあって、そこがいろんな企業での課題になっていると思います。
成澤
自分の中でまだ答えが出ているわけではないんですが、企業の文脈と紐付けると、企業は数字で評価されることが多いですよね。それで今ちょうど勉強しなければと思っているのが、旧来の人事評価制度を手放していこうという動きです。十数年前から欧米ではあった話で、僕はあまり知らなかったんですが最近勉強し直しています。「ノンレーティング」という手法で、ABCのランク付けをしないというものです。大手もどんどん取り入れているという話です。フィードバックをたくさん出さなければならなくなるので、管理職の負担が増える面はあります。そこをどう軽減して今関わっている企業に導入していくか、今研究しているところです。毎日のようにフィードバックがあって、管理職と部下が目指すレベル感を合わせていく。今までのイメージよりも高頻度にそれが行われることで、結果的にアジャイルな動きにもなり、より良い成果にも繋がり、それが報酬にも跳ね返ってくる。より高みを目指していくという意味では完璧を目指すような部分もあるかもしれませんが、そのプロセスは一歩でも良くなっていくことの繰り返し。
完璧とぴったりオーバーラップするわけじゃないですが、企業の文脈で照らし合わせると何か繋がってきそうな話だなと思っています。
森
何をもって完璧とするかよくわからないよねという前提で完璧を目指すのと、これこそが完璧だとコンクリートのように決めて完璧を目指すのとでは、だいぶ違うかなと今話を聞いて思っていて。
宮沢賢治のように「完成・完璧には到達できないかもしれないけど目指そう」という考え方だと、成澤さんのおっしゃる人事的なアプローチとも整理できそうな気がします。一方で単純に「年間売り上げ1億」という数字だけの目標だとそういう話にはなりにくいかもしれない。その人の成長や物事に対してどういうスタンスで企業が捉えているかによって、やることは変わってきそうだなと。
教育の現場でも同じようなことがあって、保育園だと10年くらい前は必ず並ばせていたんですが、最近はしないんですよね。話を聞いてもらえればOKで、そのために並ばせるという儀式が変わってきた。完璧みたいなものは形骸化しやすいのかなとも思って、本来大事にしたいことと、完璧という設定がずれてしまうことが起きてしまうのかもしれないなというのが、今感じたことです。
成澤
まだもう少し見つめなければという感覚は残りながらも、あえて出すと、ゴールとして完璧は目指さなくていいかなという気はしています。そこで起きている関係性ややり取りが完璧だったらいいなと思い始めていて。自分がいいなと思えるような関係性が企業の中でも、ワークショップの中でも起こせたら、それでいいなという感じがしています。
ゴールにこだわると、自分自身が歪む気がするというか、そのゴールに行っていないからここをテコ入れしなきゃ、という感じで余計なことをしてしまいかねない。どこに完璧さを求めるかによって結構違いが出てくる。僕は関係性だったり、場の空気感や雰囲気みたいなところを自分なりの基準として、そこに完璧さが生じていればいいなというのが今の気持ちです。
話しながら、自分の中でこだわりが少し薄れた感覚を得ています。
吉田
今の話を聞いて、ゴールに向かうよりもゴールへ向かうプロセスが大事で、そこにおける関係性や取り組みの中身こそが重要だということだと思います。プロセスが良ければ結果も良くなる、「プロセス=結果」なんですよね。だから目標というのは、今のプロセスを大事にするための北極星のような道しるべみたいに捉えられるといいのかなと思います。ただ企業の場合、経営者の考え方によっては数字が必達となると、プロセスよりも数字に向かってしまうことで歪みが出てくるということも現実問題として多々起きているのではないかと思っています。
安田
プロセスを大事にするとか、関係性を大事にするということにはとても共感できるんですが、一方で成澤さんや吉田さんが企業に関わるとき、皆さんが直接関われる範囲の中で関係性やプロセスを大事にしようということはできても、評価の仕組みを作ったり運用していくときには、それだけではなかなか回っていかないもどかしさもあるんじゃないかなという気もするんですが。さっきおっしゃっていたノンレーティングの評価制度のお話は、ミッショングレード制のような既存のものに対して、新しい動きがあるということなんでしょうか?
成澤
そうですね、「ノンレーティング」という手法で、ABCのランク付けをしないというものです。欧米ではそれが主流になりつつあるという話で、GEとかAdobeといった大手もどんどん取り入れています。管理職の負担は結構増えてしまいますが、フィードバックをたくさん出さなければならなくなるので、そこをどう軽減して今関わっている企業に導入していこうかと研究しているところです。ノンレーティングという手法はそんな感じですね。
安田
ありがとうございます。全然聞いたことがなかったです。私が関わっている会社だと、そもそもフィードバックがうまくいかない、普段の関わり方がうまくいかない、会話が進まないというレベルで悩まれていることが多いので、ノンレーティングはだいぶ遠いなというのが正直な感想です。
成澤
僕が思うのは、数字的なゴールを目指すのはそろそろやめたらいいんじゃないかということです。「数字のために仕事をしているんでしたっけ?」、というところがあって、数字を追わなければいけないのはアメリカが造った経済成長を目指すルールそのものの話だと思っています。目の前のお客様のために良いものを作ろうというのが基本で、それをやって成功している企業としてトヨタが僕の勝手な解釈ですが、顧客視点が徹底されている気がしています。株式市場的にはゴールを決めて達成していかなければならないのもわかるんですが、そこはやりつつも、完璧を目指さずにいいことをコツコツやっていくのがいいのにな、と思って見ています。サントリーが上場廃止したのも、そういったところにあるんじゃないかなと。どんどんそういう土俵から皆さん降りたらいいんじゃないかと思ってしまいますね。
森
そういうふうに思う人が大企業の中にもいるということが衝撃というか、自分はそういうのがあまり得意ではなかったので、売り上げを目指すということから早々にドロップアウトしてしまったという感じなんですが。かといってトヨタは増収していますよね、最高益のニュースも出ていたと思うんですが。そうすると吉田さんがおっしゃるように、求めすぎると達成しない、手放すと実は達成する、みたいなある種のパラドックスがトヨタのような大企業でも起きているということなんでしょうかね。完璧を求めないわけじゃないけど完璧にこだわらない、求めるけど手放す、という在り方はどうなんだろうということが根底にあって、求めないわけじゃないけどこだわらないというあり方を、ぜひご教示いただきたいと思います。
吉田
なかなか難しいことなんですが、森さんの「求めないけど求める」という言葉、やっぱり何を求めるかというと、今やることという感じの捉え方ができればいいなと思います。このテーマはなかなか深い意味がある話で、森さんの言葉が今回の会話の最後のメッセージとして、「求めないけど求める」「手放すけど手放さない」というような言葉として残っていくといいなと思います。今後また深めていきたいと思います。今日はそんなところでよろしいでしょうか?
成澤
最後に一言だけ。今日の入口のテーマだった「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛さんの歌ですが、そういうことかなと思ったのが、散る桜も残る桜も、どちらも美しいんだなということ。良寛さんが言いたいことをこの歌にまとめているのはさすがだなと感じました。どちらかがいいということじゃなくて、儚い美しさもあるし、満開の、ある種の完璧さとも言える美しさもある。両方いいんだということを言っているのだろうな、と。それだけ言いたかったです。
吉田
安田さんいかがでしょうか、最後に一言。
安田
ありがとうございます。今ここで自分があったらいいなという状態をとにかく目指して、自分なりにベストなことをやっているつもりのことが、気づくと周りからするとちょっと違うんじゃないかというところもあって、そんな自分に気づけるかどうかということが、まだまだ修行が足りないなという感じがとてもします。もしかしたら、散っていくべき自分になっているような、そんなことにも気づかないといけないのかなという感じがしていました。ありがとうございます。
吉田
森さんいかがですか、一言。
森
ありがとうございます。今回のリトリートは吉田さんから出されたお題が「手放す」でしたが、止めないわけじゃないよね、ということと、手放す、こだわらないということがずっとテーマとして、自分に照らし合わせながらずっと考えていました。その中で完璧、完成形、無常、それぞれ美しい、というのが全部繋がって捉えられると、何か少し良いのかなというふうに思いましたので、ありがとうございました。
吉田
ありがとうございました。今日の対話はここで終了ということでよろしいでしょうか?
成澤
はい、ありがとうございました。
法政大学キャリアデザイン学部教授
日本キャリアデザイン学会前会長
臨床心理士
公認心理士
シニア産業カウンセラー
2級コンサルティング技能士
福武書店(現ベネッセコーポレーション)に18年勤務、育児冊子ひよこクラブ創刊などに携わった後、人事部にてヘルスケア部門の立ち上げ、採用、教育、異動、昇格などを担当。
退職後大正大学臨床心理学科教授を経て2018年より現職。
海上保安庁、警察庁、警察大学校等官公庁の他民間企業でカウンセラー、講師、メンタルヘルスの組織コンサルタントとして活動。研修支援領域はストレスマネジメント、メンタルヘルス、モチベーションマネジメント、キャリアデザイン等。
株式会社Zentre 代表取締役 エグゼクティブコーチ
(社)インターナショナルZENカルチュラルセンター理事
ZENトレプレナー研究所 代表
BCS認定プロフェッショナルビジネスコーチ
30歳まで米国アラスカ州にあるパルプ会社に勤務。セスナ機でアラスカ中を飛び回る。
帰国後、中堅アパレル企業の経営の傍ら、カリフォルニア州で日本食レストランの経営や
イランへの文具輸出など、様々な事業を手掛ける。
50歳でビジネスコーチ株式会社を創業し、取締役に就任し人材育成を始める。
2011年青森県観音寺で得度(仏門に入る)
2017年(社)インターナショナルZENカルチュラルセンター設立理事
2020年ZENトレプレナー研究所設立し、代表となる
2023年に70歳で株式会社Zentreを設立し、代表取締役となる
ZEN(禅、然、善、全)をキーワードにエグゼクティブや企業に対してコーチングや人材開発を行っている。
ワークショップ企画ファシリテーター
アウトドア(自然体験)プロデューサー
シンガー&ソングライター
武蔵野大学非常勤講師(2024〜)
Be-Nature School/有限会社ビーネイチャー代表
早稲田大学社会科学部卒
環境教育プログラムや自然を活用した企業研修・組織開発ワークショップを企画・実施。焚火&禅リトリート、屋久島マインドフルリトリートなど、自然×ファシリテーションという独自のボジションで事業を展開。
NPO法人NATURAL LING TRUST・理事
学校法人正和学園・評議員
【著書・絵本】『田んぼのきもち』(ポプラ社)
【編著】『おとなの自然塾』(岩波書店)
【共著】『ファシリテーション〜実践から学ぶスキルとこころ』(岩波書店)、『看護のためのファシリテーション』(医学書院)
Zentreディレクター/青山学院大学文学部卒業
産業カウンセラー
国内旅行業務取扱管理者
教育サービス企業で帰国子女教育に10年かかわった後、組織再編に際し新会社でセミナー企画、セミナーハウスやコンファレンスセンター運営に携わる。2005年に研修の企画、運営、ビジネスイベントのロジスティック手配を手がける有限会社櫂の設立に参加。各種研修プログラムの企画開発、イベント手配、催行の経験を積む。Zentreではプログラム企画開発、カスタマーリレーションを担当。自然と触れ合いつつ対話や内省を深めるオフサイトミーティング、リトリートプログラムの造詣が深い。ビジネスパーソンがよりいきいきと働き、仕事を通じて幸せになることの支援をするのが信条。一般社団法人産業カウンセラー協会東京支部専門育成研修部副部長、有限会社櫂副代表。
Zentre パートナー/中央大学文学部史学科卒
株式会社ToMoRu 代表取締役
HRD(人材開発)プロデューサー
レジリエンストレーニング認定講師
米国CTI認定コーアクティブ・コーチ(CPCC)
富士通系SI企業、人材紹介会社、生命保険会社にて、法人営業や代理店営業、ダイレクトマーケティング、キャリアカウンセラー、人事を経て株式会社ToMoRuを創業。子どもが「早く大人になりたい」と思えるような社会にするべく、社員が育つ組織づくりを目指して社外人事として企業に伴走。コーチングや対話のスキル・知識を活かして、人が育つ人事制度構築・運用や研修企画・実施の実績が豊富。
坐禅は毎朝の日課。禅的な考え方を研修やコーチングに活かすだけでなく、日々のランニングやマインドセットに応用するなど、日々、禅を実践・探求している。